それさえもたぶん退屈な日々。

ぼんやりしてて自動移行されました

ミュージカル刀剣乱舞  花影ゆれる砥水

ネタバレに配慮した書き方はしていません。
あと冗長さがいやになったので系統立てたあらすじも特になく個人的な覚え書き以上のモノではないです。
二部に関する言及はありません。
あくまで物語に対する感想です。

初日配信は見ないまま5/6ソワレを現地で見ました。
席は2階バルコニーやや下手側で全体がきれいに見える位置だけど、顔の詳細までは分からない、ぐらい*1
この一回きりの観劇の記憶だけで書いているので事実と異なる描写がきっとあります。というかないとおかしい。

一部見終わった瞬間の感想としては「覚悟してたよりは面白かった」でした。

ここからしばらく花影自体には関係ない話なので飛ばしても大丈夫です。

前提として、私はミュージカル刀剣乱舞とは浅いお付き合いしかしていなくて、現地で見たことがあるのは、本編筋?が「阿津賀志山異聞(トライアル版)」「阿津賀志山異聞(本公演版)」「葵咲本紀」。番外が「髭切膝丸 双騎出陣2020〜SOGA〜」。お祭りが「歌合 乱舞狂乱2019」。
2020年の無料配信のときにみたのが「幕末天狼傳」「つはものどもがゆめのあと」「結びの響、始まりの音」。母がはいってたdTVのサブスクで見たのが「髭切膝丸 双騎出陣2019〜SOGA〜」と真剣乱舞祭各種。有料配信でみたのが「にっかり青江単騎出陣」「壽 乱舞音曲祭」。
戯曲本でよんだのが「阿津賀志山異聞」「幕末天狼傳」「三百年の子守唄」。
十分に見えるかもですが、ストーリーがあるものは「葵咲本紀」よりあとのものは一切見てないです。あと、「幕末天狼傳」は体調悪くて半分ぐらい気を失いつつなので見たと言っていいのか……。
「阿津賀志山異聞(トライアル版)」は自分で頑張ってチケットを取ったのではなくて、初日に見た友人が「刀剣乱舞すきならみてきて!!」って譲ってくれて見ました。
このとき、シンプルにとても楽しく見ました。話はシンプルに阿津賀志山への出陣で、当時それなりにゲームをやっていたプレイヤーなら多分概ね見ていただろう今剣の回想を下敷きにしたものでしたし、出陣のシーン*2や、真剣必殺の演出もすきでした。あと加州清光が圧倒的にかわいくて、私の初期刀ではないんですが、加州かわいいってひとがいうのこういうとこかー!て思ったことを覚えてます。なので、本公演版も友人にチケット取って貰っていきました。楽しかった。
ただ、その後の「幕末天狼傳」は出陣のメンツに対する思い入れも新撰組に対する思い入れもあんまりなかったので気づいたらなんか……おわってたきがします。
舞台刀剣乱舞の方が始まってたのはあるかも知れない*3


で、その状態で何で「葵咲本紀」は見に行ったのかというと、明石国行がすきだったからです。出るって聞いてとりあえず動いて喋る明石国行が見たくなったのでチケットを取りました。
見る前になんか噂で「三百年の子守唄」から繋がっていると聞いていたので、見る時間を取りたかったんですがとれなかったので直前に(観劇当日の行きの電車内で)戯曲本だけ読んだんだけど、結果的に読んでよかったんだけど、こう……話が……あわなくて……。個人的な萌えとして、人外が人間のこどもを育てる話はたいへん好きなんですけど、なんかそこ以外の部分があまりにも雑で全然話に入れなかったんですよね。
その状態で「葵咲本紀」見たら、ノー説明で「三百年の子守唄」の明らかなる続きをしていて……各シーンは好きなとこもあるんだけれど*4、全体でみたときに構成が本当に合わなくて、まあ次は見るまいと思いました。
といいつつ「歌合 乱舞狂乱2019」が現地なのは、明石国行のキャラクターの描き方自体は嫌いではなかったのと2部はそこそこ楽しかったのでお祭りだしな、みたいな気持ちでした。
これはオムニバス形式で細かいことを気にしなくていい構成だったので楽しく見ました。
(のちに「にっかり青江単騎出陣」をみたのはこの「歌合 乱舞狂乱2019」の「にっかり青江 篝火講談~夏虫の戯れ~」がとてもよかったからです)

その後ははっきりした話がある話はあきらめたので「静かの海のパライソ」「東京心覚」「江水散花雪」「鶴丸国永 大倶利伽羅 双騎出陣 ~春風桃李巵~」「江 おん すていじ」は見てないです。評判だけぼんやり聞いていて気になるような気にならないような……ていうかんじ。
「髭切膝丸 双騎出陣2020〜SOGA〜」だけは「髭切膝丸 双騎出陣2019〜SOGA〜」がとてもよかったのでチケット取って現地で見ました。コロナ禍下で入っただろうアレンジのいれかた(手が触れなくなったりするあたり)もすごくよかったです。

花影自体の話はこの下から

そんなこんなで、花影はわりとすきなほうである山姥切長義がでる、しかも顔と名前が分かる役者の一人である水江健太である、ということはおいておいても見る気も行く気もなかったのだけど、これまで刀ミュは見てこなかった友人から「長義さんのお顔が好みだけど一人でいくのはあのきらきらがこわいので、チケ取れたら一緒にいってくれ」という連絡が来たので「チケットがとれたら」って返しておいたら、ある日「5/6ソワレとれたのでいかがですか」って更に返ってきて、せっかくなので見にいくことにしました。


で、繰り返しになりますが一部見終わった瞬間の感想としては「覚悟してたよりは面白かった」でした。


こどものころに「刀(モノ)の声」を聞いてしまった本阿弥光徳が、その後聞き続けようとするも最終的には「刀の声と思って聞いていたものは自らの心の声では」と気づく話、というのが人間側の骨格だな、というかんじ。このときの「心は嘘をつく。聞きたいモノを聞いてしまう。だからこそ目でただそこにある事実を見ねばならぬ(意訳)」という〆がとてもよかった。信念はあるが振り回されている、というのが作中での本阿弥光徳の印象だったので。
もう一人の人間であるところの豊臣秀吉マクガフィンみしかなかったのは残念だった。先日映画刀剣乱舞黎明で出番がちょっとなのに死ぬほど存在感で殴ってきた藤原道長を見たばかりだったので、最初出てきたときの印象の薄さがなんかこう……人たらしっぽさがまるでなく、家臣に慕われている殿というよりも、家臣にいいようにおべんちゃらを使われて持ち上げられていい気になっている物の道理が分かってないバカ殿にみえるのがなんだかなあという。後に暴君として狂ってくとこはよかったんだけど。


そして、刀剣男士側および歴史改変としての話はめちゃくちゃふわっとしてるんですよね。
途中、迷い惑い、いろんな思惑が重なって存在を影打に乗っ取られてた一期一振が自らを取り戻す、話だったような気はするんだけどそもそも一期一振がどうしてそんなあやふやなことになってしまったのかが作中でも不明点として語られ、たぶん補足がなかった。
「本阿弥光徳が影打を真打だと極めたこと」は「そんなことぐらいで?」という扱いだった。「歴史の流れは大河であり、小石が投げ込まれた程度では変わらない」という台詞もあったけど、ここで言われている歴史、そもそもなんなんだろう……。ここ、個人的にはどちらが真打といわれてものちに一期一振という刀は残るのだからひいては刀剣男士として顕現する一期一振の存在が揺らぐはずがない、みたいな話になるのかと思ったら深掘りされなかった。し、逆に本阿弥光徳が極めたからこそ、影打も真打になってしまった(一期一振という刀剣男士は入れ替わった)と言う言及があった*5
部隊のメンバー、作中で言及もあったけど、刀工自身による在銘*6か、極められた際の金象嵌*7か、写しを作られた際こっちが本歌ですの銘切*8という、現在において所在がはっきりしている刀だけなので、顕現のありかみたいな話が一切出なかった。
正直、人によって左右されている存在として山姥切長義を置いたのではと見ながら思っていたのでここに言及が全くないの肩透かしでした*9


あと部隊メンバーを銘ありというセレクトをして話を作っているのに、真打影打の極をするときに、銘の話が一切ないんですよね。真打・影打って最初からそうしようとして打っているというよりは、何本か打って一番いいやつを「君に決めた」して銘を刻んで初めて真打影打になるものだと私は思っていたので、一番最初に豊臣秀吉が「この一期一振ほんものか?」って本阿弥光徳に問うてるときはともかく、二本目が出てきたときに、どっちが真打かって聞くの、現在に残っている一期一振が額銘なことを考えると両方無銘の可能性もなくはないとはいえ、前提としての真打影打が崩れないです?
(ここは資料ひっぱりだすのが面倒で記憶だけで書くんですが)一期一振の額銘、わりと字がどでかくて短刀のものを移植されたものではないみたいな話があった気がして、つまり、額銘にするためにはあらかじめどちらかの刀には銘が入っている(ただし真・影の極は一瞬で終わる)or両方に入っている(真・影ではなく両方粟田口吉光の刀であることが真。ただし、作中の本阿弥光徳の反応からして両方姿がそっくりなので別の刀という想定がおそらくない)or両方に入っていない(銘は別のどこかから移植されてくるとする)になってしまわないです?
ここ、せめて作中ではこういう設定でいきますと言う補強があればよかったと思うんだけど特になかった気がする。


そもそも、出陣の動機・目的がぼんやりしていた。これは私の覚え間違いだったら申し訳ないんですが、「なんかちょっと怪しいから行ってきて」くらいだったとおもうんですよね。誰が怪しいとか、何の事象があやしいとかそういう前置きがほぼなかったし、審神者から隊長を任じるへし切長谷部に「一期一振を頼みます」という理由が一切見えない。最初の本丸でのシーン、一期一振べつに新人ぽい扱いをされていた様子もなかった……と思うんだ。
新人枠は鬼丸国綱と山姥切長義だった。逆に、大般若長光は今回の部隊のなかではやや古株というあつかいだったし。手合わせをしているシーンで「記憶がない」話をしている一期一振のフリが唐突すぎてあとでなんかにするのかなと思ったらなんか……使えているような使えていないようなぼんやりした伏線の残骸みたいなことに。普段から不安定というフリにしては弱かったと思う。


で、過去に飛んでとりあえず時の権力者である豊臣秀吉歴史修正主義者に襲われているところを助けて、報償として取り立てられて、一部はそこに居合わせていた本阿弥光徳の方に行く。
やや時系列ふわふわしてるんですが、本阿弥光徳は鬼丸国綱を豊臣秀吉から保管を委託され、その後に一期一振の極めと磨り上げを任され、さらにもう一本出てきた一期一振も合わせて真打の方を磨り上げろ、というのを時間の経過がどれぐらいかは分からないけど豊臣秀吉から命ぜられている。ここの、一期一振の極めに関しては疑問に思ったところを既に書いているので繰り返さないですが、本阿弥光徳が磨り上げを躊躇う気持ちもよく分からない。
というか、本阿弥光徳がどうして刀を好きで、どのようなところが好きなのかがまるで分からないんですよね。人なんかより素晴らしいって言うけれど、なんでそんなに刀に傾倒したのかっていう理由が見えてこないので、刀自体が損なわれることを恐れて鬼丸国綱を預かるのはともかく、そっくりな刀二本のうち、影打なら磨り上げに差し出してもいいって思う気持ちが分からない。真打がそこなわれるのはいやで、影打ならいいって言うのも雑じゃないです? どちらも刀であることには変わりがないのに、どちらもは大事な刀にはならないのか?
本阿弥光徳が躊躇っているの、どちらが真打なのかではなく、真打を差し出したら磨り上げさせられるからで、最終的に影打を差し出して、やっぱ磨り上げはやめるといわれて、じゃあ真打ださなきゃになるのなんか……本阿弥光徳にとっての刀って何なんだろうってものすごく謎に思えた。あと個人的には天下統一目前でもまだごたごたしてるぐらいの時期だと思うので、磨り上げる=刀として使うつもりがある、だと思うので、刀を刀として使われることを忌避してるようにも見えて、刀をどう扱いたいのかが分からない。刀に対して美しい、と言ってはいなかったと思うんだけどこれは記憶がうろ。


時間経過がぼんやりしてよくわかってないんですが、任務として滞在している間にうまれたのか、元々生まれていたのかが分からないけれど気づいたら豊臣秀吉が実子である鶴松をかわいがりだしていて、たしか幼いままに死んだこどもが何人かいたけどだれだろうこれ秀頼の幼名なんだっけ捨だっけって思いながら見ていたんですが、べつに後の秀頼ではなかったですね……。
というか、ほんっと豊臣秀吉周りの処理が雑じゃないですか。何が何でも説明を入れて欲しいわけではないが人物としての書かれ方があまりにも雑。すごく、書き割りというかマクガフィンとしての役割だけ最低限振った、みたいな出方しかない。ひとつは明確な説明もなくただふわっと季節が流れて時間が過ぎてるせいもあるとおもうんだけど*10、やってることに一貫性がなく見えてしまう。
いやもともと晩年に向かってどんどん支離滅裂なことをし始めるかんじのひとではあるんだけどそれでもちょっとこう……雑というか。
刀に絡めたエピソードを本阿弥光徳まわりのためにだし、豊臣秀吉自身のために鶴松のエピソードを出したのかな、とは思うんだけど……。


この鶴松まわりもなんというか雑で時間遡行軍が何をしたいか分からない。
いや、時間遡行軍はこの話の中でなにをしたかったのかはほんとうになにひとつも分からない。存在のすり替えをしたかったのかもしれないけれどなんていうか……すり替えたあとの影打のコントロールも出来ていないし、本阿弥光徳の誘導もうまくいってない。中途半端に鶴松の延命してるのはなんなんだ。歴史改変はちいさなことから、とかそういうことかもしれないけどそれならもうちょっとこまめに出てきてもらえないですかね……。


刀剣男士側も、一期一振が入れ替わってしまったことは認知しているのにその後、なにをしてるんだって思ってしまう。
本丸への報告・相談している様子がないのは、出陣中は審神者に直接連絡を取って指示を仰ぐことはできないとかそういう事情があるのかも知れないので置いておいて*11、そもそも出陣してる隊のなかでも報連相してる様子が全然ないのどういうことなの。
一期一振が消えたことに対して心配をしている様子もないし、代わりに現れた影一期一振に対しても時間遡行軍に敵対しただけでとりあえずスルーを決め込んでいる。対話しようとしないのはともかく、探ろうともしてない*12
それがいきなり鶴松が延命した瞬間に「やばい、殺さないと」って言い出すのぎょっとする。しかも本気なのか冗談なのかわからないけれど、正面突破で暗殺しに行こうとするのが二振りもいる。かといって、毒殺って言い出すのも短絡的だなとは思うんだけど、この服毒させにいくのもどうしてそんな夜中に忍び込む話になるんだ。それ、正面突破の暗殺となにも違わないと思うんですけどどうですか。毒殺っていいだしたときは、大人にはなんともないけど弱っている幼児*13には効く程度の毒を混ぜた薬を献上したら毒味スルーでいけなくないです??? 少量でも薬と偽ったら継続的にのませることも可能だし。遅効性の毒をその辺から調達するならそれぐらいの融通きかせたりとかもできないです? 無理? そもそも過ぎた薬は毒になりやすいんだからわかりやすい毒じゃなくて、下剤程度でも幼児には覿面に効いたんじゃないか……? 簡単に脱水になるし、こどもはかんたんに死ぬ……。
結果的に夜に忍び込んで見つかって、薬瓶を落としたら誰からも見えなくなっている本来の刀剣男士のほうの一期一振が周囲に認識されないのをいいことに毒を服用させていたけど、物質に干渉できるなら、あの、部隊の他の刀剣男士たちと何らかのコミュニケーション取ろうなどとは考えなかったんですかね……筆談とかできたんじゃないです……?
とはいえ影になってしまっていた一期一振側は自分を失って記憶喪失してる感じだったのでこれは仕方がないかなとは思うのだが。
それにしてもこれまでに見たミュから得てる偏見なんですけど、死すべき定めの人間が生き延びたら、縁ある刀剣男士が自ら手を下さなければならないというノルマがあるんですか?


ぐだぐだいってるんだけど、一期一振自体はよかったですね。
最後の方で、刀は使われてこそ、というの、本当によかった。本阿弥光徳が理由も明確にならぬまま磨り上げを嫌がるけど、刀側としてのスタンスはこうなんだな、という区切りはでたので。ただ、問題提起と過程がわからないまま答えが差し出されている感じがあって腑に落ちない。


影打もよかったですね。唐突に顕現して、自分を大事にしてくれてるって思った豊臣秀吉を守ろうとするけど、豊臣秀吉自身が見ているのは最初に助けてくれた一期一振なので、成り代わっているのに見てもらえているのは自分ではないというところにストレスを感じる己に更に戸惑ってるのおさないこどもみがとてもあった。


ただ何というか全体的に何を目的にして組み上げられた話なのかはぼんやりしすぎててよく分からなかったな……。
今回、Twitterのタイムラインにちらほら流れてくる感想に「今回から脚本が変わって俺たちが愛した刀ミュではなくなってしまた」という主旨のものがわりとあったのですが、個人的には、これまで関わっていたとしても今回から本格的にメイン脚本をになうことになったばかりの脚本家にどれだけの自由があるんだろうというのは疑問なんですよね。
制作体制に関しても刀ミュに関してはまったく知らないのですが、舞台刀剣乱舞のほうは先日、「すばる 2023年2月号」に掲載された桜庭一樹と末満健一の対談のなかで、話の立ち上げ*14から関われるようになったのは「維伝 朧の志士たち」からだという言及があって、それに付随して「三日月宗近の失踪自体も制作会社側からのリクエストである」とも。
繰り返しますが私はこれまでの刀ミュの制作体制は知らないですが、完全オリジナルでやっている座付きどころか己が立ち上げた劇団のように決定権を持っているタイプの脚本家でないかぎり、好きなように話を書いてそのまま舞台として上演できる脚本家なんていないと思うんですよね。ましてや、刀剣乱舞というIPでどれだけ脚本家個人に裁量があるのかというと……。
そもそも脚本家自体はひとりかもしれないけれど、舞台としてその話を仕立て上げるのは演出の仕事だと思うので、仕立て上げられた舞台に対して責任を負うのは脚本家だけではないと思うんですよね。
なんだかなあ、と流れてくる感想に思ったのでこの感想を書き始めたんですが話に対する不満だけが吹き上げたな……いやでも見終わった瞬間の「おもしろかったなー」は嘘ではないんですよね。
それとは別に気になることといいたいことは死ぬほどあるだけで……。


今回、この無駄な長文を書くためにあれこれ自分は何を見て何を感じたのかを結構考えたんだけど、どちらかというと加点方式で物語を摂取してるんだなというのと、役者個人の表現の巧拙は舞台の評価自体には影響させないな、と言うことが分かりました。上手いなとか下手だなとかは思うんだけど、下手くそで駄目な舞台だ、とは思わないんだな……みたいな。
上手い下手で言うなら、唐橋充さんが今回圧倒的に上手かったなっておもうんだけど、それはそれとして本阿弥光徳という人物はどうかと思うんだよな……。豊臣秀吉のかたも、最初のなんかカリスマもないただの暴君のバカ殿っぽいとこ、うーんて思ってたんだけど鶴松の生死のあたりから見えてくる狂気はよかった。影打のひとは圧倒的に動きが出来ていたので、最初に刀剣男士と戦うとこ、こんなに上手いのにどうしてあっさり負けてるんだ……になってたし、最後の方はあきらかに相手に合わせた動きになってて……うん……。あと、影の方の一期一振の殺陣の動きなんか見覚えがあるんだけど記憶が雑すぎて何に似てると思ったのかが分からない……。
刀剣男士たちに関してはみてて気になったの、鬼丸国綱の衣装が一人だけなんかすごい安っぽく見えたことなんだけどこれ遠くからディティールとか何も見えてないからそう感じてるのかも知れないけど、舞台見に来た人が全員オペラグラスで鑑賞するわけではないのだからなんか……なんとかならなかったんだろうか。


ところである意味目的の一つだった山姥切長義に関しては、この話にいる意味が全然なかったし、あまりにも描写に忖度が見えてつまらなかったです。

*1:オペラグラスは死ぬほど使うのが下手なせいでめちゃくちゃに目が疲れるので視力1.5の暴力だけで観劇してる

*2:プロジェクションマッピングで階段に立てられたついたて?に刀が降ってきて地面にささり、その後ろからぱっと刀剣男士が現れる

*3:Kステで恩があり、SPECTORを見に大阪に行く程度にTRUMPシリーズにはまっていたので末満健一が脚本/演出をするというので大分意識が傾いていた。ただ、現地ではなくてライビュでみてましたこのころは

*4:キャラの描かれ方自体もよかった。解釈違いなキャラもいましたが

*5:これ、刀身が現存せず逸話のみで顕現している刀剣男士の理屈はなんなんだろうな……謎い。

*6:鬼丸国綱、一期一振大般若長光小竜景光。厳密には一期一振は額銘

*7:へし切長谷部

*8:山姥切長義

*9:山姥切国広と偽物の話を期待したのではなく、名前の逆流が起こっていることを指摘し、俺こそが山姥切と呼ばれるべきだという山姥切長義の構造と重ねているのかなと思ったので。人の気持ち一つで何もかもが左右される、と言う。ただこの辺は歴史は勝者のものだというところに仮託されていたのかもしれない。

*10:桜が出てきて引っ込んでいくので時間が過ぎていることだけは分かる。一応

*11:ここ、過去作そんなちゃんと見ていないのでどこかで言及されているのかもしれないけどわからない

*12:刀剣男士たちの歌で何かの説明があったかもしれないんですが、歌の歌詞を初見で聴き取る能力が壊滅的なのでなんか歌っていたな、以上の感想はないです。

*13:確認したら数えで三つで亡くなっていた

*14:舞台となる時代や、出陣する刀剣男士の選定などを含むコンセプト部分