文体・文法の話
触発元↓ 気づいたらはじまって収束していたらしい文体の話のまとめ
それと、すべてがそうだというつもりはありませんが、評判をたよりに私が手に取る数少ないライトノベル出身作家の書く文章の中には、ある種の業務文書風というか、「キャラクターを描写するために選ばれた制度言語」みたいなものに感じてしまうものがあります。ハイファンタジーに一家言のある人が数人注目していたので買ってみた『狼と香辛料』も、文章それ自体は、ありきたりの味気ないものでした。もうちょっと文章にクセがあってもよさそうなものですが。
古典文学を読む私のライトノベルに対する〈読み〉そのものがスタイルとして古いといわれればそれまでですけれども、もし実際そうだというのであれば、どのような〈読み〉であればあの「物語専門新聞記者」のような文章を楽しく読めるのが、大変気になっています。そういえば『狼と香辛料』については、「これは文章にリズムなんかないな」と思ってしまってから、新聞を読むように、パッと「面で見て」意味を把握する読み方に切り替えてしまったのですが、その方がむしろ読みやすかったことにほんとうに驚いてしまいました。
これが今風の読み方に近いのでしょうか。少し考え込んでしまいます。まるで、「さっさと読んでさっさと捨ててくれ」とでも言われているかのような一抹の寂しさを覚えます。
God & Golem, Inc.
うーん、ライトノベルの読み方なんて個人の自由。つまり文章に重きをおいても勝手というものなのですが……
ライトノベル作家の文体 - バカ小説とメイドさん至上主義なまいじゃー分室
ぶっちゃけ文章に酔いたいなら、ライトノベルに時間割く必要はないというかむしろ期待しても不幸になるだけでしょうね。
だって、多数派の読者は流麗な文章など別に求めているわけじゃないですから。
むしろ、読みにくくなるので過剰な文章表現は邪魔者扱いされる可能性があります。
そもそも需要が少ないのだから、供給だってそれに合わせたものになるのは道理。
このやりとりは紹介されて初めて知ったのだけど、面白かった。
私は改めて自分を振り返るまでもなく文章重視型なので、前者の意見の方に深く納得した。
惜しむらくは、『狼と香辛料』は今人に貸しているので読み直してみることができないぐらい*1。
しかし「ラノベに【よい】文章を求めるなかれ」というのは極論。
どんな分野にだっていい文章を書く人はいるし、その反対だっているはず。
ただ、ラノベという分野で話が面白ければ文章がそこそこな作家が許容されているのは「物語*2的勢い」があるからなんだと思うし、そもそも「悪文」と称されるほどひどい文章を書く人は滅多にいない*3のも確か。
と、ここまでは個々の文章の話なんだけど、それに加えてレーベル毎にそれなりの文法もあると思うのだ。
たとえば、一昔前はティーンズハートは一部で「メモ帳」と呼ばれてた*4。
なんでかっていうと、改行が多くて下半分がすかすかの文庫が非常に多かったから。
しかも一人の作家だけではなくて、どの本を開いてもその状態の人が多かった。
後にティーンズハートで分厚い本への挑戦を始めてしまう小野不由美でさえ『バースデイ・イブは眠れない』から『悪霊がいっぱい!?』*5ぐらいまで1Pあたりの改行率は非常に高かった。
今文庫が引っ張り出せないのでうろ覚えだけど、最初はそれがつらかったとも言っている。
また、おなじく小野不由美の『十二国記』シリーズも講談社文庫でも出る事になった時に、漢字の開き具合を調整したという*6。
宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』もスニーカーで出版する際に漢字の開きを改めているらしい。
ライトノベルが本来のターゲット層としているはずのローティーンからハイティーンぐらいに「あっている」と思われる文章になるように調節しているのは大いにある話のはずだ。
ただ、私は作家の文章に個性がないと思った事はあまりないので*7、いつか電撃hpでやってた「利き文章」みたいな企画*8があるうちは文章大丈夫じゃないかなーとおもう。
そんで、どうして今更反応しちゃったのかというと、昨日読んだネウロのノベライズがあまりに衝撃的だったから。
めずらしく、平和な昼下がり。
魔人探偵脳噛ネウロ 世界の果てには蝶が舞う(東山彰良/著・松井優征/原作)P.13
暑かった夏の名残りは、花屋の軒先にひっそり咲いているゼラニウムだけだった。
その赤い花に、大きな蝶が一匹とまっている。
自分でも気がつかないうちに、俺は顔を近づけていた。
蝶は逃げようとしない。
全編こんな感じ。
ほぼ一行ごとに改行は久々に出会ったよ……。
未読だけどミステリ作家が書くというので結構期待していたぶん落胆が……。